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大阪地方裁判所 昭和52年(ワ)5458号 判決 1987年12月21日

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 武村二三夫

同 大澤龍司

同 小山田貫爾

同 黒川勉

同 里見和夫

同 正木孝明

同 福原哲晃

同 村田喬

被告 大阪府

右代表者知事 岸昌

右訴訟代理人弁護士 前田利明

同 友添郁夫

右指定代理人 西沢良一

<ほか三名>

主文

一  被告は、原告に対し、金八五万四四三八円及び内金七五万四四三八円に対する昭和五二年一〇月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一四八三万五〇二九円及び内金一三四三万五〇二九円に対する昭和五二年一〇月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告の身柄拘束

原告は、昭和五二年一月二五日午後六時ころ、大阪市西成区萩之茶屋二丁目四番二号大阪府警西成警察署(以下「西成署」という。)北側路上を通行中、右路上に停車していた大阪府警のパトロールカー(以下「パトカー」という。)に向かって、「おい、ポリ公どけや」と声をかけたところ、同パトカーから降りてきた大阪府警西成署直轄警ら隊巡査長谷重彦(以下「谷巡査長」という。)に身柄を拘束され、その後西成署に留置され、同月二七日勾留決定の後、大阪拘置所へ移監のうえ同年二月四日まで勾留された。

2  右拘束の違法性

右拘束について、警察は、原告を公務執行妨害罪により現行犯逮捕した旨主張するが、原告は右拘束の際、右のとおり「おい、ポリ公どけや」と一声言ったにすぎず、それ以上の行為に出たことはなく、原告が警察官に対し脅迫や暴行を加えた事実は全く存しないのであって、公務執行妨害に該当する事実はなく、現行犯逮捕の要件を欠くものである。

3  原告に対する暴行傷害

谷巡査長は、原告の身柄を拘束した後、原告を、西成署内庭まで連行し、氏名不詳の警察官一名とともに、無抵抗の原告をその場に転倒させたうえ、二人がかりで顔を蹴り上げ、腰背部を一〇数回にわたり繰り返し足蹴にした。

原告は、谷巡査長ら二名の警察官の右暴行によって第二ないし第四腰椎左横突起骨折等の傷害を受けた。

4  被告の責任

谷巡査長及び右暴行を加えた氏名不詳の警察官は、いずれも被告に任用されている地方公務員であるところ、谷巡査長の違法な身柄拘束及び右両名の暴行傷害は、いずれも警察官がその職務を執行するについてなされたものであるから、被告は、国家賠償法一条一項により、原告に生じた損害を賠償すべき義務がある。

5  損害

(一) 休業補償

原告は、前記の谷巡査長らの不法行為の結果、昭和五二年一月二五日から同年八月一五日までの二〇三日間休業せざるを得なかった。その間の休業により原告の被った損害は一六七万三七三五円である。

原告の一日当りの収入は、賃金センサス昭和五〇年第一巻第一表の産業計男子労働者学歴計の三五~三九歳の欄の額を基準とし、これに昭和五二年度までのベースアップ分を一割と予想して算出すると、別紙計算書(イ)のとおり八二四五円となる。

(二) 逸失利益

原告は、谷巡査長らの暴行により第二ないし第四腰椎左横突起骨折等の重大なる傷害を受け、現在なお、座骨神経痛、腰痛、左下肢牽引痛等があり、通院加療中であるが、右症状のうち座骨神経痛、腰痛等は将来においても軽快する見込みが少なく、後遺障害等級一二級一二号に該当する。

原告は昭和一六年三月二三日生であるから、就労可能年数は三一年とし、その年収は前記賃金センサスの同欄記載の額に昭和五二年度までのベースアップ分を一割と予想して算出し、これに新ホフマン係数(一八・四二一)を用いて計算すると、原告の後遺症による将来の労働能力低下による逸失利益は、別紙計算書(ロ)のとおり七七六万一二九四円となる。

(三) 慰藉料

原告は、前記の違法拘束、暴行、傷害、後遺症により多大の精神的苦痛を受けた。これを金銭に換算すれば、四〇〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用

本件訴訟は、原告自身がこれを遂行することはその性質上困難であるところ、原告はこれを弁護士である原告訴訟代理人らに委任し、その費用として、本件が勝訴となったときは一四〇万円を支払う旨約した。

6  むすび

よって、原告は、被告に対し、前記損害額合計一四八三万五〇二九円及びうち一三四三万五〇二九円に対する不法行為後の昭和五二年一〇月一六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、昭和五二年一月二五日、大阪区西成区萩之茶屋二丁目四番二号西成署北側路上において谷巡査長が原告の身柄を拘束し、原告が留置、勾留されて同年二月四日まで拘束されたことは認めるが、その余は否認する。

2  同2の事実のうち、警察が原告を公務執行妨害罪により現行犯逮捕した旨主張していることは認め、その余は否認する。

3  同3の事実は否認する。谷巡査長が原告を逮捕して西成署に連行した後の経緯については、被告の主張欄のとおりである。

仮に、原告に左腰椎横突起骨折の傷害が認められるとしても、その傷害発生時期は全く不明である。原告は昭和五一年八月二一日から同年九月七日まで五回にわたり、兵庫県宝塚市の児玉病院に胃の辺りが痛むといって通院したことがあるので、当時既に骨折していたのではないかとの疑いもある。また、仮に、原告が前記逮捕の当日負傷したとすれば、同日逮捕前に川越昭男などと喧嘩をしたか、その後飛田新地付近を通行中階段で転落したためではないかとの疑いも生じ、更に、当日西成署内で負傷したとすれば、右逮捕後、連行時点において、原告が本館裏出入口階段で転倒しているので、そのときに生じたとの疑いもある。

4  同4の事実のうち、谷巡査長が警察官であり被告に任用されている地方公務員であることは認めるが、その余は否認する。

5  同5の事実のうち、原告に損害が生じたことは否認する。

三  被告の主張

1  谷巡査長は、昭和五二年一月二五日午後六時四〇分ころ、西成署のパトカーに乗車して同署を出発し、同署北側の道路を、い集した労働者らの人込みの中を徐行しながら西方へ進行し、右道路北側にある「まるまる食堂」前に差しかかったとき、右食堂から飛び出してきた原告が、「この店は警察とぐるか、店をつぶしたろか」と怒鳴り、この状況を目撃して停車したパトカーの運転台横の半開きの窓から覗き込んで、谷巡査長に対し、「お前ら、この店とぐるか。こら、ポリ公、殺したろか」などと怒鳴り散らしてからんできたので、谷巡査長が職務質問するため降車したところ、原告は、二、三歩後ずさりして、右手を頭上に振り上げ、「なに、こら、殺したろか」などと暴言を吐き、襲いかかる気勢を示したので、谷巡査長は、公務執行妨害罪で逮捕する旨を告げて、同所で原告を逮捕し、西成署に連行した。

2  谷巡査長は、原告を連行する途中、前記い集の状況を確認するため同署北側裏門前路上にいた同署刑事官警部野田好武(以下「野田刑事官」という。)に出会ったので、この男は、ポリ公殺したろかといって殴りかかろうとしたので逮捕した旨の報告をしたところ、野田刑事官は、谷巡査長に対し、原告を事件係まで連行するように指示した。

3  谷巡査長は、右裏門のすぐ内側で原告の身柄を同署直轄警ら隊巡査浜田敏彦(以下「浜田巡査」という。)に預け、パトカー(武田巡査運転)を安全な場所に誘導するため、一旦その場を離れた。

4  浜田巡査が、原告を同署本館裏出入口付近まで連行したところ、原告はその場に尻を落して座り込んでしまった。

その時通りかかった同署直轄警ら隊巡査部長秋吉仙之助が、「早く署の中へ連れて行き、指名照会せよ」と指示した。

右本館裏出入口付近でこの状況を見ていた野田刑事官が大声で「早くその男を事件係に連れて行け」と指示したので、浜田巡査とともに、その場に居合わせた同署直轄警ら隊巡査青戸芳治(以下「青戸巡査」という。)が原告を立たせて、本館の裏出入口の扉の前に連行し、青戸巡査が左手で原告の右手を握り、右手で裏出入口の扉を開きかけたときに、原告が右腕を急に振り払ったので、青戸巡査の左手が外れたのであるが、その際原告は勢い余って、そのはずみに「わあ」と悲鳴をあげて、二段になっている階段の上に半回転して倒れたので、青戸巡査はすぐに原告を助け起こしたものである。そして、浜田巡査が原告を事件係の巡査部長佐藤史郎に引き渡した。

5  その後、同署捜査係巡査部長森下正(以下「森下巡査部長」という。)が所要の捜査をしたうえ、昭和五二年一月二七日公務執行妨害罪の現行犯人として身柄を大阪地方検察庁へ送致した。

6  右の次第であるから、原告の身柄拘束には何ら違法な点はない。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張の事実は否認する。原告が「まるまる食堂」から飛び出した事実及び停車していたパトカーの窓から覗き込んだ事実はない。原告が、右パトカーに対して「おいポリ公どけや」と言ったところ、右側運転席にいた谷巡査長が「なに」と言って降りて来そうな気配を見せたので、原告は、まずいと思い、すぐに走って逃げたのであり、右手を振り上げたり、襲いかかる気勢を示したことはない。

2  同2の事実は否認する。原告は、走って逃げる途中、裏門前路上において追いかけて来た谷巡査長に背後からつかまえられ、谷巡査長は無言でそのまま原告を押しながら西成署内庭まで連れ込んだうえ、原告をその場に倒して暴行を加えた。その間、野田刑事官なる者に出会ったことはないし、まして谷巡査長が被告主張の如き報告をしたことはない。

3  同3の事実は否認する。原告は、西成署北側裏門内側で谷巡査長から浜田巡査に身柄を預けられた事実はない。

4  同4の事実は否認する。内庭において原告に暴行を加えた二警官(そのうち一人は谷巡査長)は、暴行を終った後立去ったので、原告が起き上ろうとしていたところ、裏門の方から警官が二人歩いて来て、原告の両脇を抱えて西成署本館裏出入口から入り、事件係へ連れて行ったのである。

5  同5の事実は認める。

6  同6は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  (原告の身柄拘束)

1  原告が、昭和五二年一月二五日、大阪市西成区萩之茶屋二丁目四番二号西成署北側路上において、谷巡査長によって身柄を拘束されたこと、その後、原告は、西成署に留置され、同月二七日勾留決定の後、大阪拘置所に移監のうえ、同年二月四日まで両拘置所で勾留されていたことは、当事者間に争いがない。

2  被告は、谷巡査長が原告の身柄を拘束したのは、公務執行妨害の現行犯人として逮捕したものである旨主張するので、先ずこの点について判断する。

《証拠省略》を総合すると、昭和五二年一月二五日午後六時過ぎごろから、西成署北側裏門向い側の大阪市西成区《番地省略》乙山春夫方において、賭博被疑事件に対する捜索差押えが行なわれ、同署北側の道路には、これに従事する警察官や同事件の被疑者等関係者の往来及びこれらを見物するためにい集した数十名の労務者らで喧噪をきわめていたこと、同日午後六時四〇分ごろ、西成署のパトカーが、同署の周辺を警戒するため、同署北側裏門から出て、道路上にい集していた労務者ら数十名の人込みの中を徐行しながら、西方に向かって進行し、右道路の北側にある専ら西成署の警察官が利用していた「まるまる食堂」前に差しかかったとき、原告が同食堂から路上に飛び出してきて、「この店は警察とぐるか、店をつぶしたろか」と怒鳴り散らし、更に、原告は、この状況を目撃して停車したパトカーの運転席の半開きの窓から覗き込んで、乗車していた谷巡査長に対し、「お前ら、この店とぐるか。こら、ポリ公、殺したろか」等と大声を張り上げてからんできたこと、そこで、谷巡査長が職務質問をするために降車したところ、原告は、二、三歩後ずさりして、右手拳を頭上に振り上げ、「なに、こら、殺したろか」等と暴言を吐き、今にも谷巡査長に対して襲いかかろうとする険悪な気勢を示したので、谷巡査長は公務執行妨害罪で逮捕する旨を告げ、同所で原告を逮捕したことが認められる。右認定に反する「まるまる食堂」から飛び出してきた事実も、暴言を吐いたもののパトカーの窓から覗き込んだ事実も、右手拳を振り上げたり、襲いかかる気勢を示した事実もなく、谷巡査長が下車しそうな気配だったので逃げたが、捕った旨の原告本人の供述部分は、前掲の各証拠並びに原告が当日「まるまる食堂」に至るまでに相当飲酒しており、西成署との電話の応対でいざこざがあったうえ、「まるまる食堂」内で警察官と口論し、いらいらしてパトカーに近付いていったとの原告本人尋問の結果部分(第一回)に照らし合わせると、にわかに信用し難く、また、《証拠省略》中、現行犯逮捕の直前「原告が殴りかかった」との部分も、《証拠省略》の記載中、殴りかかった旨の文言が一切見当らないことに照らして、容易く措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上認定の事実によれば、右原告の行為が公務執行妨害罪に該当することは明かであるから、谷巡査長が原告を現行犯逮捕したことはなんら違法ではなく、その後の身柄拘束についても特段違法な点は認められず、原告の身柄拘束が違法であることを理由とする不法行為の主張は失当である。

二  (原告に対する暴行傷害)

次に、原告を連行する際暴行傷害があったか否かについて判断する。

1  《証拠省略》を総合すれば、谷巡査長は原告を現行犯逮捕した後、右手で原告の背後からその右腕をつかみ、左手で原告のえり首を持って、押す様にして、西成署北側裏門を通って同署車庫南側の内庭に連れ込んだが、原告のあまりの理不尽な言動に憤激し、やにわに足を掛けて原告に尻もちをつかせ、原告の左顔面を右足の皮靴底内側で一回蹴って、原告を仰向けに転倒させ、更に、両手を後頭部に廻して頭を抱えこみ、右体側を下にして横たわる原告の左側腰背部を氏名不詳の警察官ともども数回にわたり蹴る等の暴行を加え、その結果、第二ないし第四腰椎左横突起骨折等の傷害を負わせたことが認められ、右認定に反する《証拠省略》の各記載部分、《証拠省略》の各供述部分及び原告本人の供述中「靴底全体で力一杯蹴られた」との部分は、前掲の各証拠に照らし合わせて採用に由なく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  ところで、被告は、「谷巡査長は、原告を現行犯逮捕した後、西成署北側裏門の内側まで原告を連行したが、パトカーを誘導するため、浜田巡査に原告の身柄を預けた。浜田巡査はその場に居合わせた青戸巡査と原告を連れ、同署裏側出入口から署内に入ろうとして同出入口階段まで来て、青戸巡査が扉を開けようとした時、原告が急に腕を振り払い、その結果原告は半回転して転倒した。その後、浜田巡査が原告を事件係まで連行したものであって、原告が谷巡査長らから暴行を受けたことはない。」旨主張し、《証拠省略》中には右主張に副う部分があるので、改めて、以下これらを採用し難い所以を詳述する。

前掲各証拠によれば、西成署鑑識係巡査部長によって原告が現行犯逮捕された日の翌日である昭和五二年一月二六日午前九時ごろ撮影された原告の被疑者写真(乙第一三号証)には、左耳前部に縦に細長く、そして左顎に小さく黒くみえる痕跡が存在し、大阪市立大学教授医師助川義寛の昭和五九年六月一日付意見書(甲第七号証の一・二)によれば、右二か所の黒い痕跡はいずれも表皮が剥脱したもので、外力的作用により生じ、かつ、成傷用器については鈍体と思われ、右写真は、成傷後一四ないし一五時間程度経過した時点で撮影されたものとしても矛盾はないとされていることが認められる。もっとも、助川教授の同年一〇月一二日付意見書(乙第一六号証の一)には、乙第一三号証は成傷後一四ないし一五時間程度経過した時点での写真とは認められないとの記載部分があるが、これは、靴底全体で力一杯蹴り上げられたことを前提とした上での意見であって、前提を異にするから、右認定を左右するものではなく、更に、同意見書中、右二か所の変色部が一回蹴られた作用によって発起することは困難であるとの記載部分は、原告がその顔面を静止、固定した状況で蹴られたものと断定し難い以上、十分に説得力のある推論であるとはいい難く、他に右認定に反する証拠はない。

また、昭和五二年二月中に原告の腰部を撮影したレントゲン写真である《証拠省略》によれば、原告には第二ないし第四腰椎左横突起骨折が存在し、原告が勾留されていた大阪拘置所の医療法務技官医師の病状回答書(甲第三号証)によれば、昭和五二年一月二八日と二月二日の二回にわたり原告に対する外科医師の診察が行なわれたが、原告には左腰部に圧痛があり、レントゲン像により左第三及び第四腰椎横突起骨折が認められたものであり、鑑定人長紹元の鑑定の結果によれば、右骨折発生時期を昭和五二年一月二五日とすることに矛盾はないことが認められる。前記助川教授の意見書(乙第六号証の一)中「本件骨折は発生後間もない骨折と考えるよりは古い骨折と考える方が合理的である」との記載部分は、「遷延癒合若しくは仮関節を形成した骨折の所見があること、骨折が生じた場合その後に必ず骨吸収が起きること及び骨折後日数を経過していない時には腸腰筋に腫張膨化の像がレントゲンに当然現われること」を前提とした意見であるが、鑑定人長紹元の鑑定の結果によれば、前記レントゲン写真によっては遷延治癒の判定は不可能であり、また、仮関節(偽関節)を思わせる所見はないこと、腰椎横突起骨折のような小さな骨の骨折の場合は骨折部の出血だけで腸腰筋の膨化が生じる可能性は小さいこと、骨折部に骨吸収が起きる原因は、骨折部位の細胞の代謝活性の変化によりさまざまであって、骨折部に必ず骨吸収が起きるとは限らないことが認められるのであって、前記助川意見書の記載部分は、その前提において必ずしも正確なものとはいい難く、採用することができない。なお、被告が疑問を提するところの、昭和五一年当時既に骨折していたのではないかとの点は、《証拠省略》によれば、原告が同年八月二一日から数回兵庫県宝塚市所在の児玉病院に通院したことは認められるものの、《証拠省略》によれば、その主訴は胃の辺りの痛みであって、本件骨折部位とは傷害部位が異なるうえ、医師がレントゲン撮影をしたが疾病は認められなかったというのであり、右通院の事実から原告が当時既に骨折していたとは到底認められず、他にそのころ原告が骨折していたことを裏付ける証拠はない。

以上認定のところによれば、原告の左顔面の傷跡及びその成傷用器と発生時間、そして原告の腰部の骨折とその発生時期は、原告主張に副う前掲原告本人尋問の結果部分を合理的に裏付けるものであり(もっとも、原告本人の供述中には、既に見たとおり、自己の言動を歪曲し、谷巡査長らの暴行の程度、態様を著しく誇張する等信用し難い部分があるが、そのことの故に右供述を全面的に一切採用に値しないものとすることはできない。)、他方、被告主張に副う《証拠省略》の各供述部分は右客観的事実に照らして首肯し難く、《証拠省略》の原告の顔には異常がなかった旨の供述部分は、前記原告の顔面の傷跡とは明らかに矛盾するものであって、いずれもにわかに採用することができないものである。

3  被告は、更に、原告が前記逮捕の当日負傷したとすれば、同日逮捕前に川越昭男などと喧嘩したか、その後飛田新地付近を通行中階段で転落したためではないかとの疑いを生じ、また、当日西成署内で負傷したとすれば、右逮捕後、連行時点において、原告が同署本館裏出入口階段で転倒しているのでその時生じたとの疑いもあると主張するところ、なるほど《証拠省略》の社会保険事務所に対する負傷届には昭和五二年一月二五日午後六時頃、酒を飲み、階段からころんで、体を強く角で打った旨、《証拠省略》の診療録には五二年一月二五日左側腹部に木の箱があたった旨、《証拠省略》の診療録には喧嘩して骨折した旨の各記載があるけれども、《証拠省略》によれば、これらは保険申請及び診療のために事実をありのまま述べることができず、事実に反する申告をしたことが認められるのであって、直ちに右記載部分を採用して前記認定を覆すには至らず、また、原告が西成署本館裏出入口階段で転倒したとの点は、右に副う《証拠省略》の供述部分が採用できないことは前記のとおりであり、右被告の疑念には根拠がなく、前記認定を左右するものではない。

三  (被告の責任)

谷巡査長が被告に任用されている地方公務員であることは当事者間に争いがなく、前記二記載の原告負傷の経過によれば、氏名不詳の警察官も被告に任用されている地方公務員であり、被告の公権力の行使にあたる右両名がその職務を行うにあたって故意により違法に他人に損害を加えたものといわざるを得ないから、被告は、国家賠償法一条一項により、原告の被った損害を賠償すべき責任がある。

四  (損害)

1  《証拠省略》によれば、原告は、前記暴行傷害により、昭和五二年一月二五日から同年八月一五日までのうち一九八日間休業を余儀なくされたこと、原告は日雇い労務者として月少なくとも一〇日間勤務し、日額六五〇〇円を下らない日給を得ていたことが認められ、その間に原告の被った損害は、別紙計算書(ハ)のとおり、休業損害としては四二万九〇〇〇円となる。

2  《証拠省略》、前記認定の受傷及び後遺障害の部位、程度によれば、原告はその労働能力を五パーセント喪失したものと認めるのが相当であり(《証拠省略》中、労災等級一二級一二号該当との記載部分は、本件骨折の部位及びその性状に照らし、採用しない。)、原告の就労可能年数は症状固定の時(満三六才)から三一年と考えられ、これに新ホフマン係数(一八・四二一)を用いて計算すると、原告の後遺症による将来の労働能力の低下による逸失利益は別紙計算書(二)のとおり七二万八三九七円となる。

3  前記認定にかかる谷巡査長らの原告に対する暴行傷害の態様、原告の受傷及び後遺障害の部位、程度その他諸般の事情を総合勘案すれば、原告の精神的苦痛を慰藉するには一〇万円が相当である。

4  ところで、谷巡査長の原告に対する本件不法行為が原告の公務執行妨害行為によって誘発されたものであることは明らかであり、原告にも右の点に落度があったというべきであり、この点を斟酌すると、本件受傷による原告の前記1ないし3の損害合計額一二五万七三九七円から四割を過失相殺により減ずるのが相当であり、その結果損害額は、別紙計算書(ホ)のとおり七五万四四三八円となる。

5  《証拠省略》によれば、原告は、本件訴訟の提起及び遂行を弁護士である原告訴訟代理人らに委任したことが認められ、本件事案の態様、訴訟経過等に照らし、弁護士費用として賠償を求め得る金額は一〇万円をもって相当と認める。

6  よって、被告は、原告に対し、本件不法行為に基づく損害賠償として、八五万四四三八円及び弁護士費用を除く七五万四四三八円に対する不法行為の日の後である昭和五二年一〇月一六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

五  (結論)

してみれば、原告の本訴請求は、八五万四四三八円及び内金七五万四四三八円に対する昭和五二年一〇月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用し、仮執行宣言の申立については、その必要がないものと認め、これを却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 島田禮介 裁判官 奥田孝 髙橋文淸)

<以下省略>

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